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加増 1万石 | |
ご存知、大岡越前〜忠相は吉宗政権下で、江戸町奉行を19年の長きにわたって勤め、さらに寺社奉行、奏者番となって、吉宗の政治を助けた。その長年の功で、6千石ほどであった家禄に4千石あまりを加増されて、万石に達して大名となり、三河西大平に立藩した。
この時、忠相72歳。75歳で亡くなっているので、大名としては3年あまりで、忠相本人は西大平には一度も足を踏み入れることはなかった。
太平の元禄の世で、いわゆる君側の近臣でない現場の官僚が、大名に取りたてられたのは大変異例とも考えられ、忠相に対する吉宗の信任が伺われる。以降の藩主も西大平藩は基本的に定府だったようである。
| 旗本1700石大岡忠高の四男で、一門旗本1920石大岡忠真の養子となる。 | |||
| 大岡忠相の二男 | |||
| 大岡忠宜の二男 | |||
| 播磨安志藩主小笠原信濃長逵の三男 | |||
| 大岡忠恒の三男 | |||
| 大岡忠移の長男 | |||
| 大岡忠移の五男 |
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