分知2万石 | |
宗藩庄内藩の初代、酒井忠勝の三男酒井忠恒が庄内藩から2万石を分知されて立藩。三代酒井忠休(ただよし)は長年幕政に参与し、奏者番、若年寄などに任ずるが、この間藩政が省みられず、財政を圧迫し、家臣や領民の不満が募った。江戸詰めの藩士の登城お供拒否や、家臣上下270名による忠休引退勧告が起きるが拒否されると、これら家臣は暇乞を出し、引きこもるという全面ストライキに入った。これは宗藩庄内藩によって鎮圧されるが、これを契機に藩政は宗藩から天下り重役を迎えて、その監視下に置かれることなる。
| 出羽庄内藩主酒井忠勝三男 | |||
| 酒井忠恒の子 | |||
| 宗藩庄内藩老臣、酒井図書直隆の長男 | |||
| 酒井忠休の子 | |||
| 出羽庄内藩主酒井忠徳の子 | |||
| 酒井忠禮の子 | |||
| 酒井忠方の子 | |||
| 酒井忠良の子 |
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