2万7千石 | |
砂土原の島津家。藩祖島津以久は島津貴久の弟ある島津忠将=すなわち島津四兄弟の従兄弟、の子であるが、形としては関ヶ原で奮戦死した島津四兄弟末弟の島津豊久の垂水所領を受け継いだが、家康の命で日向砂土原に3万石。
その後関ヶ原西軍時にも本藩同様安堵され、六代惟久が家督にあたって義兄である先代久寿に3千石を分与したので、2万7千石となる。
島津久寿は幼少の島津惟久の後見(番代)として、15年に渡って藩政を見、参勤その他も藩主同様に勤めた。藩主としてカウントするかは出所資料によって異なる。
| 島津忠将の子 | |||
| 島津以久の三男 | |||
| 島津忠興の長男 | |||
| 島津久雄の長男 | |||
| 島津忠高の叔父島津久富の長男 | |||
| 島津忠高の長男 | |||
| 島津惟久の三男 | |||
| 島津忠雅の三男 | |||
| 島津久柄の三男 | |||
| 島津忠持の長男 | |||
| 十一代 | 島津忠徹の二男 |