丹後宮津〜改易→ 1万石 | |
志摩鳥羽藩の項もあわせてご参照願いたいが、丹後宮津藩主だった永井尚長は、増上寺での将軍家綱の法要の際に、兼ねてから不仲だった志摩鳥羽藩主内藤忠勝と口論となり、斬りつけられ絶命する。斬られた方も、士道不覚悟ということであるから、改易。
しかし、情状酌量されて、尚長の弟、永井直圓に名跡が認められ、大和新庄に1万石を得た。その後、八代永井直壮のとき、居所を櫛羅に移し、櫛羅(くじら)藩と称す。
| 永井尚征の子 永井尚長の弟 | |||
| 永井直圓の二男 | |||
| 永井直亮の二男 | |||
| 永井直国の二男 | |||
| 永井直温の長男 | |||
| 永井直方の子 | |||
| 美濃加納藩主永井尚佐の七男 | |||
| 永井直次の二男 | |||
| 下総高岡藩主井上正瀧の五男 |