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豊前中津より 1万石 | |
豊前中津8万石の小笠原家は藩祖小笠原秀政の嫡孫小笠原長次から始まる名家であったが、小笠原長胤が不行跡を咎められ、改易。
名家のゆえを酌量され、弟の小笠原長円に半知4万石が認められた。しかし長円の子小笠原長さとは3歳で藩主となり、6歳で没してしまい、無嗣改易となるところ、これまた名家のゆえもって、弟の小笠原長興(5歳)に播磨安志で、1万石の名跡がゆるされる。これが、安志藩の立藩の経緯で、本来なら、小笠原家の嫡流たる家ではあるが、1万石の小藩として細々と続くことになる。
代々信濃守を許されている点が、かつて信濃守護職であった小笠原家にとっての栄誉ではある。小笠原宗家は、大坂の陣で、小笠原秀政、長男忠脩が討ち死にしたとき、忠脩には遺児小笠原長次があったが、若年で心もとなしという秀忠の命で、忠脩の弟、秀政の二男小笠原忠真を以って宗家となし、嫡孫長次は別家という扱いになる。
忠真の小笠原家は豊前小倉藩となる。