藤井松平信一が、関ヶ原の功によって、土浦3万5千石を与えられて、成立。藤井松平家は上野高崎へ移る。
上野白井より西尾忠永が入り2万石。駿河田中へ。
下野鹿沼から朽木稙綱が入り、3万石。丹波福知山へ。
土屋家が4万5千石で入るが、土屋政直が駿河田中城受け取りを命じられ、そのまま同地へ。松平(長沢・大河内)信興が2万2千石で入るが、大阪城代となって、摂津河内に領国を移されて転出。
土屋政直が老中となって、駿河田中から再度土浦に戻って、6万5千石。綱吉、家宣、家継、吉宗4代の将軍に31年間老中として仕え9万5千石まで加増。
以後土浦は土屋家の領する所となり、幕末まで嗣いだ。
土屋家も代々、幕閣の中枢を担う譜代大名だが、土屋家はいわゆる三河譜代ではなく、武田信玄・勝頼二代に仕えた土屋昌恒の家である。土屋昌恒は離反相次ぐ武田の家臣の中にあって、天目山で勝頼と最期を共にしている。遺児土屋忠直が駿河に隠棲していたのを、一種の武田マニアであった家康に見出され、取りたてられたものである。
土屋数直が家光の小姓となって、万石を得、次の政直の老中としての活躍で、9万5千石の大封を得、その後大過なく、封を守っている。
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新知 3万5千石 | |
| 松平(藤井)利長の長男 |
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上野白井より 2万石 | |
| 酒井重忠の三男、西尾吉次の女婿となる。 | |||
| 西尾忠永の長男 |
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下野鹿沼より 3万石 | |
| 朽木元綱の三男 | |||
| 朽木稙綱の長男 |
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常陸のうちより 4万5千石 | |
| 上総久留里藩主土屋忠直の二男 | |||
| 土屋数直の長男 |
常陸真壁より 5万3千石 | |
| 武蔵忍藩主松平(長沢・大河内)信綱の五男 |
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駿河田中より 6万5千石→9万5千石 | |
| 土屋数直の長男 | |||
| 土屋政直の四男 | |||
| 土屋陳直の二男 | |||
| 土屋篤直の長男 | |||
| 土屋篤直の二男 | |||
| 土屋篤直の三男 | |||
| 土屋英直の長男 | |||
| 水戸藩主徳川治保の子 | |||
| 土屋彦直の長男 | |||
| 水戸藩主徳川斉昭の十七男 |
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