分知 10万石 | |
加賀金沢藩主の前田利常は二男の利次に分封を願い出て許された。
当初、越中婦負郡6万石、新川郡で1万6千石、加賀能美郡で2万石であった。婦負郡の百塚に城を築こうとするが、費用面で断念し、加賀金沢藩領内にあった富山城を借りてスタートする。
城が自藩領内にないという、異常な状態は、その後金沢藩と領地交換をして解消し、その際10万石となる。
二代藩主前田正甫は、自身が病弱だったこともあり、薬に興味を持ち、自分でも調合したり、内外の薬の製法を領内に広めさせた。富山の売薬の基礎を築いた。
| 加賀金沢藩主前田利常の二男 | |||
| 前田利次の二男 | |||
| 前田正甫の二男 | |||
| 前田正甫の五男 | |||
| 前田利隆の長男 | |||
| 前田正隆の四男 | |||
| 前田利幸の長男 | |||
| 前田利與の長男 | |||
| 加賀大聖寺藩主前田利道の八男 | |||
| 前田利謙の二男 | |||
| 前田利保の六男 | |||
| 前田利保の七男 | |||
| 加賀金沢藩主前田斉泰の九男 |
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