分知5万石 | |
三次藩の藩祖浅野長治は広島藩祖浅野長晟の庶子ながら長男であった。
宗家は弟の光晟が継ぐが、長晟の希望もあり、幕府からも許されて、備後三次に5万石の分知が認められ、三次藩の成立を見る。
浅野長治は治世にも実力を発揮した名君だったが、赤穂浅野家の浅野内匠頭長矩の正室「阿久里」瑶泉院の父としての方が著名か。
しかし、三次浅野家は、度々継嗣に恵まれず、本藩から何度か嗣子が入るが、浅野長澄は五男二女をもうけるが、長澄の死の時には長男、二男早世しており、わずか10歳の浅野長経を13歳と偽って届けた。
しかし、その長経も江戸藩邸にあって、父の死の半年後に亡くなってしまう。末期養子の長経も10歳で亡くなるとあっては、もはや断絶は免れず、領地は広島本藩に還付となり、備後三次藩は消滅する。
長経には、6歳の弟浅野長寔があり、一応、幕府からは非公式ながら、三次藩の名跡相続を許される。
この浅野長寔が無事成長すれば三次浅野家再興もあったかも知れないが、この浅野長寔も半年後に亡くなり、もはや名実ともに廃藩となる。三次藩の家臣も広島本藩に戻り、広島藩の郡代支配となる。
| 安芸広島藩主浅野長晟の長男 | |||
| 安芸広島藩主浅野光晟の三男 | |||
| 安芸広島藩主浅野綱晟の二男 | |||
| 浅野長澄の三男 | |||
| 浅野長澄の四男 |